
量販店で買い求めたそれは、貧乏若夫婦に見合う値段で、「今は間に合わせでも、きっとその内良い物を買おうね」…と話し合って購入したものの、ついぞ一度も買い替えられる事のないまま月日が流れた。
プラスチックのチェーンは欠け、フレームはささくれ立ち、ビニールテープで補強を繰り返しながら日差しや強風に晒され、幾度も幾度も吊り下げられる家族の洗濯物の重さに黙って耐えて来た。
もうダメかも知れない…いい加減新しくしても良いんじゃないか…と心のどこかで思いながらも、まだ大丈夫、あと少し頑張って…と捨てられずに今日に至った。
それが先日から、ピンチが1つ欠け、2つ割れ、まるで刃こぼれの様にあっという間に三分の一の洗濯ばさみが壊れてしまい、ついに「干す」ことに支障をきたした。
それでも「洗濯ばさみだけ新たにくくりつければ…」などと悪戦苦闘していた私に夫が一言、「もう良いんじゃないか」。
私ははたと気がついた。捨てられずにいたんじゃない…捨てる事が出来なかった、捨てたくなかったんだ。
この物干しと一緒に引っ越しもした。寒い冬の朝も、気持ちの良い夏の朝も、沢山の洗濯物を干した。夫と喧嘩した夜も、長い梅雨の雨の午後も、私はこの空色の物干しと、一緒に居たのだ。
捨てられる訳ないじゃないか…。
とは言っても明日から切実に困るわけで、けれどいざ新しく買おうにも、長年連れ添った物干しの代わりを探すとなると、綺麗なアルミやステンレスの輝きに圧倒される自分が居るだけで、手には取っても買う事が出来ない。
結局手ぶらで帰る道すがら、「あぁ…これが歳月を積み重ねるということなんだ」「夫の代わりが探せないように、きっと今の私には物干しの替えは買えないなぁ」…もう少しだけ、頑張って貰おうと、もう一度だけ洗濯ばさみを直して使おうと、心に決めて家路に着いた。
帰宅すると夫が、洗濯ばさみをなんとかくくりつけようと、物干しをいじり回していた。
「やっぱり愛着あるんだろ」。
この人の代えも、絶対にきかないなぁ〜と、改めて思った。
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